東京コンピューター・ガール

第3話『だって、夏なんだもん』編





「海に行こうね」
「いやだ」

にっこりと微笑んで頼むえりに対して、誠は冷たくこばんだ。
その誠の返事を聞いたとたんに、えりはぷっとふくれて上目づかいになっている。
「なんでよ」
と、えりはきわめて不機嫌そうな声で、誠の目をじっと見ながら言った。
誠は、えりの視線に少しくじけそうになったが、やはり誘いを冷たくこばんだ。
「だって、夏よ!海に今行かないで、いつ行くのよ。海は夏しか泳げないのよ!ねぇ、誠ちゃん。海に行こうよ」
えりは窓から身を乗りだして、勢いよく誠にたたみかけた。
その間、ずっと視線は誠の目から外さない。
誠は、えりと視線をあわせないように顔をそむけていた。
もしうっかりとでも、えりと目をあわせようものなら、えりの視線の強さに負けてしまうと、誠の今までの経験上でわかっているからだった。
「若葉一人で行けば。俺は行かない」
誠は、また冷たく言いはなった。
「なんでよ」
えりは、くちびるをとんがらして、誠をにらんだ。
「海だったらなつみちゃんが連れていけないだろう」
「誰、その、なつみちゃんて?」
えりは、きょとんとした表情になり、不思議そうに誠に聞いた。
誠は、眉をよせて、本当に苦悩しているような顔をしている。
「なつみちゃんは、繊細なんだ。直射日光や砂は大敵だし、潮風なんてもってのほか。彼女と一緒にいられないんだったら、海になんか行かない」
本当に苦悩しているような誠のその表情を見て、えりは『なつみちゃん』の正体に思いあたった。
「……別にいいけどね、ノートに名前つけても」
「わかった?」
誠がけろりとした表情で、えりの方を見た。

『なつみちゃん』は、誠が最近バイト代をつぎこんで買った、ノートパソコンの名前だったのだった。

「まったく。わかんないわけないでしょ、最近ずううっと持ち歩いてるんだもん。いいじゃない一日くらい置いてったって。ね、海に行こうよ誠ちゃん」
えりがねだるように誠の目をじっと見つめた。
誠は、しまったと思ったが、遅かった。もう、えりの目から視線を外すことができない。
「ね」
だめおしをするように、えりが微笑みながら小首を傾げる。
誠は、自分がいかにえりのこの笑顔に弱いかを、再確認せずにはいられなかった。
「わかったよ」
「本当っ!じゃ、約束ね」
えりは飛び上がって喜んだ。誠は、そんなえりの喜ぶ姿を見ながら、一つ深いためいきをついた。


後日談

『台風13号は、次第に勢力を強めながら関東地方に近づきつつあり…… 』
「おい、若葉。本当に明日海に行くのか?台風来るんだぞ」
めずらしく誠の方からえりの部屋の窓をたたいてえりを呼んだ。外は台風が近づいているせいか、薄曇りの空模様だ。
「行くよ。明日晴れるもん」
えりが、自信満満と言った様子で答える。誠は、けげんそうに言った。
「晴れる、って。明日は台風上陸だって言ってるぞ」
「大丈夫。祈るから。じゃ、誠ちゃん明日の朝6時ね」
えりはにっこりと微笑み、バイバイと手を振りながら窓を閉めた。誠は呆れたような感じの顔で、えりの部屋の窓を見ていた。
「祈る、ねぇ……」
また、誠は大きなためいきを一つついた。


追記

『台風13号は、昨夜そのスピードをあげ、現在東北地方より130キロ離れた位置にあり、現在も北上中です』

雲一つない快晴だった。


1992.08.12.0408
2000.05.15.0500


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