東京コンピューター・ガール

第4話『ウィルス猫』編





東京コンピューター・ガールを 初めて読む方へのこれまでのあらすじ
(注・とても不親切です)

えりは、パソコンを買ったばっかりの超初心者。
毎日のように隣にすんでいる幼なじみのパワーユーザー・誠に、パソコンに関するいろんなことを、教えてもらっている。
この話は、誠に『若葉』と呼ばれながらも、一生懸命「ぱわーゆーざー」への道を歩いていこうとする、えりちゃんのお話である。



誠の目の前には、『ピンク色のマクセル3.5インチディスク』を持った男が立っていた。
誠は、頭の上に乗せた氷枕を左手で押さえながら、その男のことをにらむように見つづけていた。
男は、にこにことベッドの上に起き上がった誠に微笑みかけながら、手に持っているディスクをひらひらさせている。
「香港A型だって?テスト前だって言うのに、一週間も学校にこないから変だとは思っていたんだけど。で、これどうする」
男は、それまで手の中でもてあそんでいたピンク色のディスクを人差し指と中指の間でビシッ、と、はさんで止めた。
誠は、そのからかうようにほほえんでいる男の態度に腹を立て、ディスクを持って立っている男の事をさらににらみつけていた。
「いるに決まってるだろう、テスト前なんだから。それより、そのディスク、安全なんだろうな。お前のことだからなんか、企んでたりするん……げ、げほっげほっげほっ」
誠がすごい勢いでせき込んだ。ベッドの上で体を丸くして、苦しんでいる。
「そんなに俺のことを信用してくれないのか。せっかく、授業のノートを、ウィルスまみれのおまえさんの所へ来てやったってのに。じゃ、持って帰っちゃおうかな、これ」
誠が信用してくれないのを、悲しそうな表情で聞いていた男は、再びディスクを手の中でもてあそび始めた。
「……こ、コノヤロ……人が、風邪で苦しんでいるってのに。いるに決まってるだろ、HDDに入れといてくれよ」
頭の上からずり落ちた氷枕を、頭の上に乗せ直しながら誠は言った。
「いいの、俺が入れても?」
ディスクをもてあそぶのを止めて、男が聞いた。男は、確認、と言うよりも、念を押すように誠に問いかけている。
「いいよ、別に。HDD壊さないだろ」
誠は、氷枕を頭に乗せて、布団をかぶり直した。そのまま、寝の態勢に入ろうとしている。
「じゃ、適当にいれとくから」
男は、その誠の返事を聞いて、にこにこしながら、誠の机に向かった。
机の両脇に積み上げられている、本や、ディスクの類を倒さないように気をつけながらいすに座る。
「……しかし、俺の部屋も結構『魔窟』だと思ってたけど、お前の部屋の方が、もっと『魔窟』な」
ディスクの中身をHDDの中にコピーしながら、誠の部屋を見まわした男が言った。
机の両脇に始まって、部屋のほとんどの壁面が、床から天井まで積み上げられた、本などで埋まっている。
床にも、ドライバーやはんだこてなどの工具や、怪しげな基盤、ラベルの張っていないディスクなどが散らばっていて、人の立つ位置も確保できないような有様だった。大体、男が立っていた位置も、足元にあった雑誌などを積み上げ直してつくったものだったくらいだ。
「ほっとけ」
誠は、うるさいなぁとでも言うように、布団を頭の上まで引き上げた。
「それ終わったら、すぐ帰れよ。風邪移るから」
「冷たいのね、誠さん。せっかく、遠回りして、来てあげたっていうのに」
妙にカマっぽい口調で、男は言った。と、同時に誠のパソコンからディスクを抜いた。
「はいよ、入れ終わった。ファイル名は、『KOUGI』で入ってるから。ま、見ればわかると思う」
男は、ピンクのディスクを床の上に置いていた、ショルダーバックに滑りこませた。
「それから、お前が暇だと思ったから、……あれ?」

べし、べし、べしっ。

誠の寝ているベッドの横にある窓から、変な音がした。
男は、なんだろうと不思議そうな顔つきで、窓の外を見ようと誠のベッドに歩み寄った。
「風邪が移るから、早く帰れよ赤井」
誠は、その行動をはばむように、男の事を押し戻す。
だが、風邪をひいているせいか、いつもよりも力が出ない。
逆に、男にベッドの方に押しつけられる。
「ま、病人は寝る」
赤井は、強引にベッドに誠の体を押しつけ、誠を毛布でくるんで、手近にあったガムテープで口をふさぎ、邪魔できないようにした。

赤井が窓を開けると斜め下の方向から、ものさしがのびてきた。
隣の家の窓からだ。ものさしの先には、かわいい猫っ毛の女の子が窓から顔をだしていた。
赤井の姿に驚いたようすで、目が大きく見開かれている。
「あ、あれ?誠ちゃ……あの、村松さんは?」
ものさしを自分の方にするすると引っ込めながら、女の子は赤井に尋ねた。
赤くなって、恥ずかしそうにしているその姿を見て、赤井はかわいいなと思った。
「村松だったら、風邪で寝てるけど……どうしたの?」
「…………あ、あの、なんか、ワープロの調子がおかしくなっちゃったから、誠ちゃ…いや、村松さんに見てもらおうと思って」
「ワープロ?ワープロは何を使ってるの?」
「誠ちゃんにもらったやつなの」
と、女の子は真っ赤になりながら答えた。赤井は、その女の子の表情や受け答えかたを見て、女の子が村松によせる信頼の度合いを知った。自分の下に組みしいている村松のようすを見ると、熱のせいだか怒りのせいだか、顔を真っ赤にして暴れている。
赤井は、このようすを見てちょっといたずら心がむずむずしてきてしまった。
さいわい女の子の方もかあいい事だし、自分のテクニックによって、村松をやきもきさせるのは簡単なことだし、楽しそうだ。
赤井は、にっこりと女の子に微笑みかけた。
「僕は赤井一太郎。村松とは大学でクラスメイトなんだ。その……ワープロなんだけど、多分僕も症状を見れば直せると思うから、見せて欲しいんだけど」
「…お願いできます?」
女の子はちょっとためらってから返事をした。
赤井は、そのためらう間が絶妙だったところから、その女の子をよりかわいいと思った。
「ええ、大丈夫ですよ。それで、ワープロはどこにあるんですか」
「こっちなんです。私の部屋にあるんですけど……あの、大丈夫ですよね?」
「何が?」
「村松さんだと、いつもこの窓を越えてくるんですけど」
と、にっこりしながら言う女の子の期待には応えなくてはなるまい。
赤井は、少々の不安はあったが、互いの窓の距離を改めて目測して大丈夫だと考えた。
「大丈夫。じゃ、そっちに行くから」
と、にっこりと微笑みを女の子に返した。
その言葉を聞いた誠は、赤井の服のすそをつかんで、赤井が女の子の部屋に行こうとするのを阻もうとした。
が、風邪のせいか思ったように力が出ないようだ。誠は、赤井にやすやすと引きはがされ、ベッドにあらためて押さえつけられてしまう。
「風邪のときは寝てるのが一番だよ。村松」
などと言いながら、にっこりと微笑む赤井を誠は悪魔のような男だと思った。
赤井は、部屋に落ちていたコードなどで、手早く誠を布団ごと縛りあげ、誠が動けないようにした。
「ま、おとなしく寝ててくださいよ。俺はちょっと行ってくるからさ」
と、誠をふとんの上からポンポンと叩いて、窓枠に足をかけた。
「いや、あんなかわいい女の子を隠していたとは、村松も侮れないなぁ」
ボソリと赤井がつぶやくと、誠は必死に布団から抜け出そうともがいた。
「じゃあね」
にっこりと微笑みながら窓枠の向こうから、赤井が手をひらひらさせている。
誠は物凄い形相で赤井のことをにらみつけたが、赤井はすでに窓枠の向こうに消えていた。
「あぁかぁぁぁいぃぃぃぃっ!!」
ガムテープの下からの怒りをこめた声は、風邪でのどをやられているせいもあって、赤井の耳には届かなかった。


「これなんです」
えりはディスプレイを指さした。
画面では、ワープロソフトが立ち上がっているだけだった。……ただ、NEKO.COMが画面に常駐している。
赤井は一目で問題がわかった。
「このワープロでね文章を書くと、この猫さんが出てきて、文章をどんどん消していっちゃうの。それでね、『うぃるす』じゃないかなっ、と思って」
一生懸命説明しているふわふわの猫っ毛の女の子の姿を見て、赤井は誠に対して妬みを覚えた。
いつも硬派な感じで、クラスメイトと一線を画した態度をとっているくせに、実際のところはこんなにかわいい女の子を隣の家にキープしていたとは。誠のことを徹底的にいじめてもいいかなという気に赤井はなっていた。
「これは、ウィルスが原因じゃないよ」
赤井はえりの目を見つめながら答えた。そして、にっこりと微笑みかける。『相手の目を見つめて微笑む』、赤井にとってはナンパの時によく使う手段だった。
赤井は身長も高く、顔のつくりも人並み以上なので、大抵の女の子は赤井の微笑みに心をゆらすことが多かった。赤井はもちろんこの女の子の心も揺れるだろうと思っていた。
「ところで、君の名前は?」
「えり。沢宮 えりです」
にっこりとえりが微笑みをかえす。えりの微笑みは、赤井の笑みよりもずっと無邪気な印象をうけるものだった。
その微笑みから、赤井はこれは意外と難しい相手だぞと直感的に思った。
赤井も伊達に女の子達とつきあっているわけではない。えりの微笑み方ひとつで、彼女の心が揺れてなどいないことはすぐわかった。
「えりちゃん。HDDは持っていないんだったよね。たとえ、これがウィルスだったとしても大丈夫だよ」
赤井は、えりのパソコンを操作しながら答えた。ワープロを終了させ、各ファイルのサイズを確認していく。起動していた中では、特にサイズが大きいファイルはないようだった。
画面の中では、点滅するカーソルを白い猫が追いかけている。
ぽてぽてぽてと、擬音が聞こえてきそうな、ゆっくりとしたかわいい動きだ。
「あ、ちゃんと追いかけてる。文字も消えたりしてないし、どうして?」
えりが感心したように赤井に問いかけた。
「えりちゃんて、もしかして、DOS上じゃあんまりパソコン使ってないの?」
「『どすじょお』って?」
と、えりは無邪気に赤井に聞きかえした。
「……ええっと、えりちゃんは普段パソコンはワープロとしてしか使ってないのかな?」
 赤井はえりの天使のような微笑みに不安を覚えた。
パソコンを所持しているからといって、パワーユーザーの友達が、またパワーユーザーであるとは限らないことを忘れていたのだった。
「うん。あとはゲームかな。いつもは誠ちゃんがくれるのよ。でもね、この猫さんは友達の花子ちゃんからもらったの」
と、えりは警戒心のない微笑みを浮かべて話しつづけた。
「ね、赤井さん。これウィルスが原因じゃないとしたら、何が原因でワープロが打てなくなっちゃったの」
赤井はえりの目を優しく見つめながら答えた。
「この猫だよ」
と、画面の裏からカーソルをひっかくようにじゃれついている白い猫を指さした。
「ええっとね、普通パソコンの画面は2つあるんだ。テキスト画面とグラフィック画面っていうんだけど、この猫はね、いまグラフィックの画面にいるんだ。そして、僕が今文字を打ち込んでいるのはテキスト画面なんだ」
赤井はNEKO.COMの常駐を解除した。
白い猫の姿が消え、『常駐を解除しました』と、メッセージが表示される。そして、赤井はあらためて、ワープロを起動させた。
「それで、ワープロのソフトとかはね、グラフィックの画面で、確定前の文字を表示させることが多いんだ。ほら、確定前の文字には色がついていて、確定された文字とは区別されているだろう」
と、画面を指さしてえりに確認してもらう。
「この部分はね『字の形をした絵』なんだ。それでね、字が消えるのは猫が通ったあとだったろう?」
「うん、そうよ」
えりがうなづいた。真剣に赤井の話を聞いている。
「猫はね、グラフィック画面の中で自分の姿を消しながら歩いているんだ。自分の姿を消すついでに、ワープロのまだ確定されてない文字も一緒に消しちゃうんだ。わかる?」
赤井はにっこりとえりに笑いかけたけれども、えりの表情は『わかんにゃい』と語っていた。
「グラフィック画面が黒板だね、それで、未確定文字が黒板に書かれた文字。そう考えてみてくれる?」
赤井は苦笑しながら説明した。村松もこの子に説明するのに苦労しているんだろうなと思うと、つい苦笑せずにいられなかった。
「それでね。この猫さんは、黒板消しを後ろに引きずりながら歩いていると、思ってくれればいいんだよ。それで、猫が歩いたあとの文字が消えちゃうんだ」
「……うーん。わかったような、わかんないような……」
えりは、眉寝に軽くしわをよせて腕組みをしていた。
「まあ、この猫さんとワープロは一緒に使えないということなんだよ」
「とりあえず、この猫さんはウィルスじゃないのね」
えりは、安心したような口調でいった。
「そうだよ。……あ、もしウィルスが見たかったら、いまさっき村松のHDDに、メッセージ表示型のウィルスを入れておいたから……」
ガラッと、えりの部屋の窓が開いた。
「……赤井っ!今、なんて言った!」
顔を真っ赤にして、誠が肩で息をしながら窓のふちに取りついている。
「よく、これたなぁ村松。いや、暇つぶしになるだろうと思ってね、僕が持っているウィルスを1つちょっと改造してお前のHDDに入れたんだ。まぁ、増殖しないだろうし、一応ワクチンも作ってあるからとりかえしはつくよ」
と、赤井はえりに向けるのとは違った、冷たい微笑みをうかべながら誠に話しかけた。
「赤井、ワクチンは!」
「今持ってるよ。お前の部屋においてきたカバンの中にね」
誠は、くるりと向きをかえると自分の部屋の窓に手を伸ばした。
が、風邪の熱のせいかふらついている。
「あ、誠ちゃん、あぶないっ!」
えりが、そう叫ぶのとほとんど同時に誠は窓の向こうから姿を消した。
一瞬のうちに木の枝が折れる音がえりと赤井の耳に届いた。
窓の下を見ると、誠が見事に大の字になって、誠とえりの家の間にある垣根の上に倒れていた。

「赤井ぃぃぃぃ。ゆるさぁん」
誠の弱々しい声が、窓の下から二人の耳に届いた。



ちゃんちゃん m(^-^)m
1993.12.29.1925
2000.05.15.0526



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